供述

妻と出会ったのは、大学三年生の春でした。

東京大学インターカレッジボランティアサークルに所属していた私は、新入生を募集するために走り回っていました。女子大やその他の共学大学へビラ配布の申請をし、コンパを設けたりして、あの手この手で新入生を集めていたのですが、その半数は東京大学の学生目当ての女の子で、何ヶ月か経つとサークル費も払わず辞めて行ってしまうのでした。

私自身も、わざわざ他大の、しかも東大のインターカレッジサークルにまで来てボランティア活動をしようと思う人などいないと、そのような女の子達の存在をしょうがなく思っていたのですが、一人だけ不思議な子がいました。

 

彼女は山脇菜穂と言って、都内の女子大に通っている活発な女の子でした。

ボランティアなのにミニスカートにヒールなどといった姿で来、ろくに活動もせずちやほやされるのを待っているような他の女の子とは違い、彼女はひっつめにジャージ、顔に泥をつけ、いつも笑顔だったのを覚えています。

不思議な子がいる というのは意識していましたが、それ以上に意識するきっかけとなったのが、震災のボランティアに出向いた時の事でした。

 

私たちのサークルは被災地に向かい、その状況を目の当たりにした後、避難している方々が集まっている住宅地に行きました。ひとりひとりのお話を聞き、お年寄りの方にはマッサージをしたり、サークルの活動の中で最も印象に残るものでした。

被災についてのお話を聞いている最中、ふと彼女の方を向くと、彼女が眉をしかめ、泣いているのに気付きました。他にも涙ぐむ部員もいたのですが、彼女よりひたむきに、真っ直ぐに泣いている人はいなかったのです。

 

話が終わると、少し解散して各々が休憩に入った時に、ある部員の話し声が聞こえました。

「話、長いな。疲れたよ。」と、ボソッと呟き、少し笑っているのが聞こえました。

そのような話を聞き、咎めるために立ち上がろうとした時、バシッ、と、音がしました。

前を向くと、顔を真っ赤にして涙ぐむ彼女が、その話をしていた部員の頬を叩いた事が分かりました。叩かれた方の部員はあっけにとられ、声も出しませんでしたが、少しすると己の言動を恥じたかのようにうなだれました。

その部員の頬を叩いた時の彼女の顔ーーーーー。 それが私には今でも忘れられないものとなっているのです。

 

その夜、彼女にその日の出来事について話をしてみようと思い、彼女に話しかけることにしました。彼女と話という話をするのは、その時が初めてだったように思います。

私が「今日、ありがとう」と言うと、彼女は急に真面目な顔になり、「私、ああいうの許せないんです。でも、あのやり方は間違っていました。申し訳ないです。」と言いました。彼女のくっきりとした目はこちらをしっかりと向き、きらきらと輝いていました。その目に吸い込まれるような気持ちになりながら、「君のしたことは間違っていないよ」と言いました。

その時、彼女を「美しい」と思いました。

 

それから、私は彼女を何回か食事に誘い、自然と付き合い始めることになりました。彼女はよく笑い、表情が万華鏡のように変わるような魅力的な女の子でしたが、違う一面もありました。

無邪気な姿とは反対に、情緒不安定で泣きやすい一面もありました。彼女がいない場で彼女の家庭環境について話すことはしませんが、あまり幸せとは言えない環境で彼女は育ちました。不安になることが多く、夜遅くに連絡が来たり、ちょっとしたことで泣き出すような繊細な女の子でもありました。

そんな彼女の一面を見て、私はずっと彼女に対する愛を感じ、出来る限り彼女に向き合いました。付き合って5年になる頃には、かつての不安定な彼女の姿はなくなり、活発で、より笑顔の多い女の子になりました。

 

彼女と結婚して3年目の年に、彼女は「子どもが欲しい」と言いました。しかし、元来子どもがあまり好きではなかった私は、その提案を断りました。彼女は私が子どもを好きではないことを知っていましたが、その提案が断られると少し泣いていました。

 

私は子どもがあまり好きではありませんでしたが、それ以上に、彼女にただの母親になって欲しくなかったのです。彼女には、いつまでも私の妻として在って欲しかったのです。妻であり、娘であり、恋人でもあるような大事な大事な彼女に、母親なんていう役割を担って欲しくはなかったのです。お腹を大きくした彼女の姿を思い浮かべるだけでも、嫌悪感で胸がいっぱいになるくらいでした。

 

秋が深まった頃、彼女に「話がある」と言われました。家に帰ると、沢山のご馳走が並べられていました。彼女はいつもより妙に興奮しており、私の帰宅を迎え食事の席に着くと、嬉しそうに言いました。

「私、赤ちゃんができたの」

と。

 

私は混乱しました。もちろん、毎回避妊をしていたのですが、失敗してしまったのか、と、様々な思いが頭を巡りました。

「私、やっぱり赤ちゃんが欲しくて」

「あなたは子どもが苦手と言うけど、きっと我が子なら」

 

そう言いながら笑う彼女は、とても美しかったのです。美しい と、確かに感じました。

しかし、もう既に彼女の中には得体の知れない異形が巣食っているのだと、純度の高い、あの美しい彼女が、日毎に腹を膨らませ違う生き物になるのだと思うと、私の中の嫌悪が破裂しました。横には大量の、いや、おびただしい量の揚げ物、サラダ、スープ… 何もかもが醜い、吐き気を堪え、彼女の顔を見ました。

きょとんとする彼女の顔は既にあの美しかった彼女とは変わり、母親へと変化していました。

ああ、取り除かねば……と私は台所へと向かいました。

 

ひんやりとして血の気がなくなった彼女は非常に美しいものでした。だから私は彼女殺してなんていない、ただ、永遠のものへと姿を変えただけなのです。